2005年3月24日木曜日

「回想録Vol.3」

ある程度弾けるようになるまで、それ程時間はかからなかった。聞き取れなかった音も聞き取れるようになる。聞き取れた音は何とか再現できるようになって来る。同級生が家に遊びに来たとき、そのテクニックを披露して見ると反応は意外にも冷ややか。う~ん、じゃこれはどう?って、当時流行りの曲をやってみる。するとすごい!ときた。なるほど。一般人ってそんな感じね・・・。
程なく学校ではくじ引き大会。何のって、学級委員を決める為。運が良かったのか悪かったのか、当たってしまった。目出度く学級委員だ。で、各クラスから同じように当たってしまった面々が集まる。そこで更にくじ引き。私の手には、なぜかまた当たりくじが・・・。

暗雲はそっと近づいて、気が付いたら頭上に来ていた。無責任で非協力的な同級生。妙な責任感で張り切っていた私と衝突も多くなってきた。全校集会の時には野次が飛んできた事もあった。頭にきてマイクで「言いたい事があったらハッキリ言えよ!」決定的なことをやってしまった。以後、クラスで私と口を利くものはいなくなった。所謂シカトってやつ。学校での時間がとても長く感じる。つまらない。そして、張り切っていた最初の文化祭は、寂しくフォークソングの伴奏をすることに。

この頃から割りと頻繁に万代シティのYAMAHAに通うようになった。そこで普段は触らせてもらえないショーウィンドウに飾られたベースと出会う。いても立ってもいられない衝動に購入を決意。しかし、悲しいかな16才の少年にはあまりにも高額なプライスが。しかし、もはや「どうやって手に入れるか?」しか頭に無い。学校で禁止されているバイトをやった。冬休みは郵便配達。春休みは鉄工所で鬼社長の付き人。長期休みを楽しむ友人たちが、何故か羨ましくなかった。結果、約3ヶ月で13万円作った。それまでの間、他の人にそのベースを触られては大変なので、店員に「お取り置き」してもらい、毎週日曜になると面会に行って気が済むまで弾かせてもらってた。最後の給料を受け取ると、その足で買いに行った。


その頃、店員ともかなり親しくなり、主任さんから声をかけられた。「君、バンドやってみないか?ほら、あそこにメンバーを探しに来てる連中がいるんだ。年も同じだし、どうだい?」頭上にあった暗雲が晴れてきたのはこの事がきっかけだった。話してみたらすぐに意気投合。ギターの彼はお父さんが教員をやってるらしい。えっ!?それ中学生の時の技術の先生じゃん。そんな訳で、East&Westというコンテストに応募。当然、あえなく予選落ち。しかし、そこで驚いたのは、優れたミュージシャンの多かった事。そして、その目がとても輝いていた事。既に同級生たちに見切りを付けていた私には新鮮だった。恥も外聞も無い。とにかく自分から話しかけた。友達になりたかった。その中で、コンテストといってもコピー全盛の時代にオリジナルソングを歌う女の子が目に入った。佐藤弥生。凄い!大学生をバックメンバーに従えてる。「あの子と一緒にバンドやりたいな。」って言ったら「そんなの無理だよ。」またそんな声がとんできた。しかし、私の耳には聞こえない。コンテストで出会ったメンバーとセッションを繰り返してるうちに何とかメンバーチェンジの多い彼女のバックバンドに参加することができた。コンテストに参加するらしい。えぇっ!Popcon!なんで?バンドでアレンジしないの?ふーんプロがアレンジしてくれて、それをやればいいの。録音は?えっ?レコーディング?!じゃ、一般の参加者って「刺身のつま」ってやつ?何の為のコンテスト?私はこんなところにいて良いんでしょうか・・・。

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