2005年4月1日金曜日

「回想録Vol.10」

フェイスtoフェイスは活動中断。仕事仲間とのバンドももっと向上したい私と、ただドンチャン騒ぎを楽しみたい連中は対立するようになっていた。もっとも仕事の方向性まで含めた対立だった。
ところが、ある日妻と買い物をした帰り道、狭い小路を通過したら、運悪く対向車が来た。邪魔だなぁと思ってすれ違う運転手の顔を見たら「!」横内さん!「久しぶり!どうしてました?」「勤務先が変わってね。これ名刺。」
もう一度一緒にやってみたいな。そんな風に考えていた。

実は、この時期もうひとつ関わってたバンドがあった。以前勤めていた楽器店の調律師から、知り合いの講師のバンドを紹介されていた。技量も趣向もてんでバラバラだったが、ドラムの彼は、やたらイキが良さそう。21歳の宗田 直之くん。あぁ、自分もこの頃はこんな感じだったけなぁ・・・。1年程して私は横内さんを探していた。連絡先をなくしていたからだ。確か日産の販売店にいるって言ってたな。片っ端からかけてみる。「うちにはそんな従業員いません。」こんな返事が続いた。しょうがない。電話帳で中条町の横内さん全員にかけてみよう。
数件かけて運良くたどり着けた。「Dr.とKeyをみつけたんだけど。やってみません?」確かこの頃できたのが「All Right!!!」だった。それまでのオリジナル曲とは全然違う。何度か打ち合わせる度に「ギターがカッコよくなってる!」「エンディングが変わってる!」正直驚いた。こんな曲書く人だったんだ。これならチョッパーベースも思いっきり弾ける。達郎サウンドにも通じる!湧き上がるようなワクワク感。
翌年のLightMusicに出演。
メンバーは、横内 広幸(Vo.)吉田 博雄(G)佐久間 寿(B)宗田 直之(Dr.)吉崎 千春(Key)第4期フェイスtoフェイス誕生だった。
このイベントで知り合いも何人かできた。全員テクニシャン揃い。単なるアマチュアでもない、かといってプロではない不思議なサウンドがそこにはあった。次々に出来上がってくる曲も素晴らしいものばかり。サウンドの方向性も見え始めていた。これを放っておく手は無い。何か方法はないか?何となくそれは見え始めていた。
その頃、私の仕事は転機を迎えていた。それまでとは全く違ったずっと年上の事業家の人達のお世話になっていた。そこは「アメリカ流」という名のビジネス。やはりPartyはついてまわった。しかし、依然と大きく違っていたのは、そのスケール。前年のPartyも切り盛りさせてもらったのだが、今回は何か企んでるらしい。ミーティングをしていた会場で、その人は「佐久間君。どうせやるなら大きく行こうじゃないか。ほら窓の外を見てごらん。あそこなんかどうだ。」
まさか・・・。ワールドカップ開催を控えたBigSwanで?翌日には早速下見に行くことになった。でかい!広い!まさか冬なのに外ではやらないよね・・・。大会運営室?ウォーミングアップルーム?そんなところがあるんだ。下見をした帰り道、たまらずに横内さんに電話した。「とにかく、今日時間を作って家に来て欲しい。」バンドを次のステップに引き上げる方法とは、
・バンド以外に共通の目的・手段が必要
・ただLiveを繰り返すだけでは行き詰まる
・全く異なるアプローチで活動する必要がある
この3つだった。最初に「アメリカ流」のビジネスを提案した。すぐに理解してもらえたようだった。そして、アマチュアアンドとしては初めてBigSwanでワンマンLiveをやることになる。話はとんとん拍子に進んだ。「こうなったらコーラスも入れよう!」という事になって、大ちゃんとYoppiiiが巻き込まれた。それとこの年の後半は、毎月Liveをやった。第1回MajorBortにも出演した。挙句の果てには、ワールドカップのイベント出演のオファーまで来るようになった。実現はしなかったけど・・・。

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